自分で自分を蔑ろにするのをやめるべし
人の顔色を伺って、つい「いい人」を演じてしまうクセはないだろうか。
自分の気持ちに蓋をし続けたところで、良いことなど何一つない。
強いて言えば、本当はそうしたくもないのにあなたが他人を優先することで、ほんの一瞬束の間の優越感や偽りの自己満足に浸ることができるくらいだ。
他人は、あなたが自分の思い通りになったと喜ぶかもしれない。
それで人間関係が円滑になったと見えることもあるだろうが、大抵長続きなどしないし、続いたところでそんな関係が良好で対等であると、果たして言えるだろうか?
「そうは言っても、〇〇さんが…」
「だって彼にも気を使わないと…」
「ワガママで自己中な人って思われたくないし…」
「良い人って思われたいし、好かれたいし…」
人間関係において、つい自分の本心本音を後回しにしたり、なかったことにしてしまう人の心の声は、おおかたこんなところである。
(ちなみに、いくら自分の本心本音だからと言って、社会や公共の法律・マナーを守らなかったり、闇雲に人を傷つけていいということではもちろんない)
湧いてきた感情や感覚、本心、本音をあたかも無かったことのようにして取り繕い、自分にさえも嘘をつき続ければ、いずれ自分で自分のことがわからなくなるといった事態に陥ってしまうのも無理はないし当然の結果とも言える。
肉体としてのあなたはそこにいるのに、心や魂としての真のあなたは奥深くにしまい込まれている。
あなたがせっかくあなたとして生まれ、なによりも意識という摩訶不思議なものを与えられた存在であるのにも関わらず、その自分を生きないというのは非常にもったいないことだ。
あなたが意識できるのは、あなた自身の意識だけだというのに。
外側を気にするのはなぜだろうか。
自分の本音で生きる人に嫌悪感を抱くのはなぜだろう。
あなたが自分に正直になり、本心本音に従って生きているとき、他者に否定されたり嫌なことを言われたりするのはなぜか?
それは、自分自身に対する罪悪感があり、本心本音で生きることを自分に許せていない自分がまだ内側にいるということを、他者が教えてくれているからに他ならない。
もしあなたが完全に、自分を蔑ろにせず心と魂の声に従って生きていくことを自分に許したならば、それを阻むような人間関係は変化せざるを得ないし、もうあなたにとって不要なものであるなら、自然に流されてゆくはずだ。
他者を大切にするとは、自分を欺いてまで他者に合わせたり機嫌を取ったりすることではない。
そもそも、あなたが他人の顔色やら気分やらを推測したとしても、それはあくまで推測だ。
相手の気持ち、本心本音、魂の声はあなたにどうにかしてもらうべきものではなく、その人自身がどうにかすべきものであって、あなたの捨て身の気遣いはたんなるおせっかいにしかすぎない可能性も十分にある。
相手はあなたが合わせてあげなければならないかわいそうな、あるいは強すぎる存在として捉えてはいないか、今一度確認してみよう。
もし自分を蔑ろにし続けた結果、どうにも修正が難しく最悪な状況になってしまっている場合は、しかるべき機関や専門家などに助けを求め、まずは身の安全を確保すること。
圧倒的な上下関係が出来てしまっている場合、私たちは自分を弱い者だと思い込んでしまっている。そういう世界を創り上げ、長期間そのような状態であった場合、壊すのには大変な勇気と覚悟がいるだろう。
そんなときは、いきなり相手と対峙しようとせず、まずはどうしたら身の安全を確保できるかを考え、信頼できる人の意見を参考にしながら一歩ずつ快適な環境を自分に与えてやることを優先しよう。
自分を蔑ろにして良いことなどひとつもない。
あなたは誰の人生を生きたいのだろう?
自分を知り、自分を思い切り味わいつくし、人生という短い時間を悔いなく生きたいのではないだろうか。
自分を敬い、大切に扱い、そして信頼しよう。
自分で自分がわからなくなることは、悲しいことだ。
あなたに湧いてくる感情や感覚や思い考えは、あなたオリジナルのものであり、金を出せば手に入るものではない。そしてそれは、あなたという無限の可能性を探り、潜在能力を開花させるための宝の鍵でもあるのだ。